カイラギの日記

主に日常を綴る雑記ブログ

将来の夢から宇宙の広さまで

 今日は休日、文化の日

 

 だが昨日とて、明日とて、仕事がある。めんどくさくて楽しくない仕事だ。

 

 仕事について同期と話してみても、みんなそんな感じらしい。毎日のように残業して、やりたくもない、つまらない仕事をしているらしい。

 

 会社員やってるとそんなもんか、出世したら自力で仕事を面白くできたりするらしいけど、ホンマかいな?

 

 最近会社で研修があった。社員のモチベーションを上げ、今後の仕事における目標を明確にするための研修らしい。「○年後の目標」とかを言わされたけど、それが無性に胡散臭く感じたのは、どうも小学生へ「将来の夢」を聞いている感じなんだよな。

 

 つまり将来絶対に叶わないような大きな夢を掲げることを求められている。

 

 小学生の頃の将来の夢って、「プロスポーツ選手になる」とか「CAになる」とか、その子では絶対に叶わないような大きい夢を書けば書くほど褒められるものだ(なぜかユーチューバーは賛否両論あるが)。「まぁ!子供らしくていい!」とか言って。

 

 会社員になっても同じ。「その本人の夢」って言うより、「上司が納得する夢」を求められている感じ。

 

 現在私は所謂「若手社員」なのだが、この研修においても、「若手社員らしい」身の丈に合わないような大きな夢を無理やり持たされているような感じがした。

 

「社長になりたいとか、世界に通用する人になりたいとか、若手ならそれくらい言わないといけない!」とか中年社員は言うんだけど、うちの会社の構造上、プロパー社員から社長になることはありえないし(プロパーなら課長まで行けば御の字じゃないか?)、古い構造を保守して風通しが悪い会社からグローバルな人材が出るとも思えない。中年社員だって本心では自分の発言がありえないことだって分かっているはずだ。

 

 つまりあんな研修、本人のためじゃなくて、上司・先輩の暇つぶし……道楽だ。

 

 上が求める「若手らしさ」のツボを押さえられたものの勝利! そこに本人の本音や個性はいらない!

 

 将来の夢、仕事の目標なんて無意味! 愚か極まりない! 

 

 まぁしかし、そんなことを言ったところで、この地球上の人間が生きていることだって宇宙全体から見ればなんの意味もない。

 

 この広大な宇宙もなんであるかわからないし、もしかしたらこの世界は全てがなんの意味もないのかもしれない。

 

 となると自分が生きる理由なんて「楽しいことしたい」「幸せになりたい!」くらいでいいのかもしれない。

 

「自分が生きる理由は、人を幸せにするため!」とか言う人もいるけど、その人が幸せかどうかはその人自身が決めることであって、それを他人がどうこうしようというのは傲慢である。自分は自分が幸せになることだけを考えて生きればいいのだ。