この前会社の飲み会があった。定年退職する役員の人の送別会だった。みんなにある程度酒が回り、盛り上がった段階で、その役員の人のお別れの挨拶が始まった。
「新卒で入社以来、定年を迎えるまでこの会社にはお世話になりました。皆様に支えられ、楽しく過ごせたことは非常に幸いなことで〜」
みたいな、言っちゃあ悪いが定型的な別れの挨拶をしている中、ある社員からヤジが飛んだ。
「○○さん! あんた仕事が楽しいなんて思ったことあるのかよ!」
飲み会ではありがちな酔っ払いの無茶振りだが、このヤジに対する役員人の返しがすごかった。
「まぁ世の中にはシリア難民の方もいらっしゃいますから」
あまりにも強すぎる……! そして一同大爆笑! 俺は一生のこの人に付いていこうと決めた(もう会社辞めてしまうけど)。
しかしパッと言われたことに対してこの返しのスピードと切れ味、伊達に会社役員やってない。こんなことを言われてしまったら仕事や人生で多少辛いことがあっても、自分はまだまだ幸せなんじゃないかと思ってしまう。
■上には上がいるが下には下がいる
シリア難民の方を「下」と言ってしまっては失礼なのだが、自分が落ち込んだ時、上を見てさらに落ち込んでしまう人はいると思う。
「自分は友達も恋人もいないのに、世の中の人は友達や恋人がいて当たり前なんて、自分はつまらない人間だ」とか「同期は仕事ができて給料もいいのに、それに比べて自分は失敗してばかりで評価も悪い。生きている価値がない」とか、上ばっかり見て落ち込んでしまう人はきっと俺以外にもいるはずだ。
自分の境遇の良さとか、能力とか、今の環境に慣れてしまえばつい忘れがちなんだけど、よくよく振り返ってみれば自分って結構幸せなんじゃないかと思う。
毎日飢えることはないし、雨風がしのげる家はあるし、仕事もあってお金を稼いでいるし……と挙げてみれば、割といい生活をしているのではないだろうか。
世界には定住地のない難民の人もいるし、餓死する人もいるし、仕事がない人もいる。そう考えれば、生きてるだけでも幸せなんじゃないかな。
でも生きてるだけで幸せなのか?
よく「生きてるだけで丸儲け」と言うけど、本当に生きてるだけで幸せなんだろうか。ここで俺の好きな漫画「最強伝説黒沢」から以下のシーンを挙げる。
これは、主人公のおやじ「黒沢」が中学生におやじ狩りされて半殺しの目にあい、その慰安旅行に伊豆に行った時に旅館で「シートン動物記」を読み、そこに書かれていた「天敵から逃げ回っている小動物」の話を読んで、「この動物にとっては生きることが勝利だから逃げ回っていても平気なんだ」と思い、「オヤジ狩りにあっても命があっただけ良かった。生きてるだけで十分だ」と納得し帰路につく途中に「やっぱり違う!」と気づいたことを、居酒屋で仲間に語っているシーン。
生きているだけで幸せなのか、それともそうではないのか、考えても結論が出ない。
結論
出ません!
でもこれではあんまりなのでまた同じようなテーマで記事を書くかもしれません。