東京のんびりスポット研究所

のんびりした暮らしについてのブログ。

国際化社会と哲学と銭湯の番台

日栄湯(以前記事に書いたこともある銭湯)へ行ったときの話。

 


【新宿区・栄湯】釈迦サウナと孔子の湯で悟りを開け! - 東京のんびりスポット研究所

 


栄湯は今まで何度か行ったことがあり、番台の人はだいたいおっちゃんかおばちゃんで、たぶんオーナーの夫婦だと思う。しかしその日は番台の人が外国人だった。白人の女性で既婚者、見た目アラサーの人だった(僕は白人の方の見た目年齢が分かっていないのであくまで推定。実はもっと若い人だったらごめんなさい)。

 


外国人の人が番台なんて珍しい。少なくとも栄湯以外の銭湯では見たことがない。もしかして東京の銭湯では特に珍しい光景でもないのだろうか。僕が地方上京者だから物珍しく思うだけで、実は都内の銭湯ファンからしてみたら「何を今更」と一蹴されることなのだろうか!?

 


まぁ僕も上京してから2年経つから東京で体験する「不思議」に対する耐性はだいぶ付いた。やはり地方(岡山のさらに田舎の方)から上京すると大都会東京と地方とのギャップに驚かされることは多々ある。そうなると自分の中の常識とか固定概念を遙かに超えた人物や現象などに出くわすこともあり、そのせいか異なる価値観を許容できるようになった気がする。

 


自分の考えに固執せずに異なる考えも受け入れられるようになったと言えば良いように思えるが、客観的に見れば本当におかしいことも「まぁそういう人も(考え方も)あるよね」とスルーしてしまうこともあり、後々考えてみれば「いや、あそこはおかしいと言うべきだったな」と後悔することもある。

 


例えば仕事において、相手から大きな声で主張されたり、「今までこれでやってきたんだ!」と上から言われてしまうと、「(東京の生活で散々異文化にふれあってきた僕からすると)まぁそういうものなのかな」と特に疑うこともなくあっさりと受け入れてしまうのだ。たぶん自分の意見こそが世の中のスタンダードと思っていた高校生くらいの時の方が「それっておかしくないですか?」とハッキリ言えたかもしれない。相手から多少おかしいことを言われても受け入れてしまうようになったのが、東京生活の弊害かもしれない。

 


さて、話を戻すが、銭湯の番台の外国人女性の話。僕は初めて現れた外国人番台に対して「さすが東京の銭湯は違うなぁ」と東京の懐の広さをかみしめた。いつも通りに入浴料460円とサウナ代300円を払ったのだが、その時番台さんと「今サウナは貸し切り状態ですよ」「今日は雨だからお客さん少なめですね」などの世間話もした。この番台さんは日本語も上手かった。カタコトではなく流暢に話していた。

 

 

左手の薬指に指輪をつけていたから既婚者だ。と言うことは外国人留学生ではなく、恐らくこのあたりに住んでいる人だろう。番台にはオーナーと思われる熟年の夫婦がいたこともあったから、この人はたぶんアルバイトかだろう。

 


なんで外国から日本に来て、定住し、結婚し、銭湯の番台のバイトをしているんだろう?(注:僕の勝手な推測です) すごいよ、この人。日本に移り住んで日本語を習得し家庭を持つだけでなく、日本の伝統文化である銭湯の世界に足を踏みいれるなんて、もし自分だったらできないよ。この勇気、冒険心、度胸、能力……、敬服の思いでいっぱいである。

 

 

 

 


さて、会計や世間話を済ませて浴室に入った僕は軽くかけ湯をして、例の釈迦サウナ(釈迦サウナについては記事冒頭のリンク参照)に入った。

 


サウナの中では特にすることがないので、ボーッとしているのだが、それでもポツポツの雑念のような感じで考え事のタネが浮かんでくる。

 

 

栄湯のサウナは、サウナ室は90℃で平均的、水風呂は24℃とぬるいので、気持ちよく整えるサウナとは言えないのだが、その分ボーッと考え事をするのに向いていると思う。サウナ室や水風呂の中でコンコンと一人で考えるというのはちょっと哲学者のような気分を味わえる。

 


そう、この栄湯は近所に哲学堂公園を有する、哲学の湯だ。哲学とはひたすらに疑うこと。常識や既存のルールを徹底的に疑うのが「哲学」、疑うことなく受け入れてしまうのが「宗教」である。

 


そこでふと気づいたことなのだが、僕は東京に移り住み、自分の常識とかけ離れたものに触れ続けた結果、たいして疑いもなくアレコレ受け入れてしまうようになった。これはもはや「東京」という名の宗教に惑わされていると言っても過言ではない。

 


それによって周囲に振り回されているように感じたり、自分の思い通りに行かないと思ってしまうことがあり、ストレスになっていた。

 


異なる価値観を許容することは大事だが、自分の軸を見失って見境なく受け入れてしまってはいけない。自分の軸をしっかりと持っていないから、簡単に振り回されてしまうのだ。この異文化に接する機会が多いグローバル社会だからこそ、自分の頭で考えること、また自分なりの「哲学」を持たないといけないのだ! 

 

 

 

 

 

 

……みたいなことを、サウナの中で考えていた。その時はなんだかスゴいことを思いついたような気になって文章に起こしてみたんだけど、まさに言うは易し行うは難しで、思いついたから何なんだって話だ。人間生きてりゃ周囲に振り回されて自分の意見を押し通せないときだってあるよ、仕方ないね、人間だもの。

 


あとグローバル社会で思い出したけど、東京の銭湯だとタトゥーや入れ墨をしている人をたまに見るね。主に外国人やイカツイおっさんなんだけど、オシャレなタトゥーとか、ヤクザのみたいな和柄の入れ墨とか。銭湯は入れ墨NGだと思ってたんだけど、最近は徐々にOKになってきたのかな? グローバル社会だなぁ。