どうしてもやってみたかった愚かなこと
こんにちは。カイラギです。
それがこの上なく愚かなことだと分かっておきながら、でもやりたくてしょうがない、やらずにはいられないことってありますよね?
■子供の好奇心
子供の時は好奇心の赴くまま、やりたいことをやりたいようにやって、それで成功したり失敗したりして学んでいったわけですが、大人になるとどうもそういう好奇心が無くなってきます。
例えば、雨上がりの道の水たまりに飛び込んでみたりとか、ファミレスのドリンクバーを全種類混ぜるとか、その結果は悲惨なものになることがわかりきっているにも関わらず、ただ「やったらどうなるんだろう?」という好奇心を満たすためだけの行為。そういうことを人は大人になると自然としなくなってしまうのではないでしょうか。
私が先日道を歩いていた時、私の前に子供が歩いていたのですが、その子はただ道を歩いてるだけでとても楽しそうでした(まるで東京ディズニーランドを歩いているんじゃないかってくらいのテンションの高さ)。きっと私も子供の頃はああだったのかもしれません。大人になると色々経験して、ただ道を歩く程度ではなんの感情も持たなくなってしまうのでしょう。
■フルーツティー作り
さて、ここでタイトルに戻りますが、私は昨日フルーツティーを作りました。
①麦茶などを入れるような2Lサイズの容器を用意します
②カットした、りんご、みかん、グレープフルーツ、パイナップルを入れます
③紅茶のティーパックを入れます
④水を入れます
⑤冷蔵庫で一晩寝かせます
上記の方法で作った。RIKACOみたい。(ちなみに私のは完全に自己流)
なぜこんなことをしたかというと、ただただやってみたかったから。単純に好奇心を満たすためだけの行為。
というもの先に書いた通り、今の自分には子供のような好奇心が不足していると思う。「何かバカなことをやろう!」と仕事中に急に思いつき、なんとなくこんなことをしてしまった。
どう考えたってフルーツはそのまま食べた方が美味いに決まっている。それをわざわざ水で薄めて飲もうなんて作る前から失敗することは目に見えている。ましてや素人考えで作るのだから、、、
しかし、そんな愚かなことをやってこそ、楽しいと言えるのではないか?(ただ給料日直後でテンションが上がっていただけかもしれない)
■まずい
いざ飲んでみるとやっぱりたいして美味くなかった。そのまま食べるのに比べて甘味は薄まっているし、なんかフルーツ独自の渋さ?青臭さ?が生きている。
「この一杯のフルーツティーを作るのにいくら使った?」それを考えると、自分は愚かなことをしたなぁという思いがふつふつとこみ上げてくる。
しかしそれは分かっていたこと。もともと愚かなことをしよう! と思ってやったことではないか。
今回学んだことは2つ。上記レシピでフルーツティーを作ると美味しくないこと。そしてどんな飲み物でもカルピスで割ると劇的に美味しくなることだ。