iPadはPCの代わりになるのか②
前回、ノートPCを手放してiPadだけでやっていけないだろうかと言う記事を書いた。
現在帰省しているんだけど、いつもならノートPCを持っていくところを、今回はiPadとBluetoothキーボードだけにしている。
ネットサーフィンや動画資料などはiPadでも十分できるし、ブログ記事を書く程度の作業だとキーボードを付ければ難なくできる。
元々ノートPCで高度な動画編集やプログラミングをやっていたわけではないので、iPadだけでも僕がやりたい作業はできてしまう。
でもなんとなく落ち着かない感じはある。このブログ記事もiPadから書いているんだけど、ブログを書くときはPCで書くことが多かったから、やっぱりPCで書いた方が快適な気がする。
と言うかiPadではてなブログが書きにくい。ブラウザではてなブログのサイトを開いて記事を書こうとすると表示の崩れなどが発生してPCと比べて不便だ。またアプリで書こうとしても機能が少なくて不便だ(目次、過去記事などの挿入オプションがない等)。
結局アプリ版で下書きを書いて、ブラウザ版で細かいところを修正するというやり方で記事を書いている。正直二度手間でめんどくさい。これからPC版のサイトで書いた方が楽だ(もしかしたらiPadでもより快適に書く方法があるのかもしれないけど)。
他にもiPadはPCよりも目や肩が疲れるような気がする。これは画面サイズが小さいとか、両手で持っていると疲れてきてだんだん位置が下がってきて首に負担をかけるとかあるのかもしれない。
たぶん僕がブログを書いていないとiPadだけでいいのかもしれない。つまりコンピュータで生産的なことをせずに完全に情報消費に特化する使い方のことだ。いや、情報収集するにしても画面が大きいPCの方が快適かもしれないな……。
iPadは軽くて便利だけど、PCでやる方が快適ならPCでやった方がいい。結局「PCかiPadどっちだ!?」みたいな二択を迫ると言うのが間違っていたのかもしれない。
ちょっと話は変わるけど、最近の世の中は二元論で考える人が多いと思う。ある物事について「賛成or反対」「A or B」「好きor嫌い」の二択しか選ばないことだ。以下に例をあげる。
・ある芸能人が不祥事を起こした時に擁護する側と叩く派どちらに着くか
・支払いはクレジットカード派or現金派のどちらか
・読書するなら紙の本と電子書籍どちらがいいか
適当に例を挙げたのだが、上記の問題に対し「自分はどっち派だ」と決めてしまうことが選択肢を狭めていると思う。別にその芸能人に特別興味が無ければ傍観してていいし、支払い方法なんて個人の自由でいいし、WinとMacの争いは半ば宗教化してて優劣つけられないし、本は紙でも電子でも気分で分けていい。
つまり両立派。白でも黒でもないぼんやりとした中間に立つこと。○でも×でもない△を生きる。両極端な見方をしてしまうことがよくないのではないか
結局何が言いたいかというと、「iPadはPCの代わりになるのか」「iPadさえあればPCはいらないのではないか」という意見そのものが良くなくて、「PCにはPCの良さがあるし、iPadにはiPadの良さがあるので、両方持てばいいんじゃないか」ということ。
現時点でのiPadではやはりPCを完全に置き換えるだけの機能は持っていない。そんな中iPadでPCを置き換えるにはどうしたら良いかと試行錯誤するのは時期尚早で、双方の良さがあるのだから両方とも使えば良いんじゃないか。二者択一で迷ったら2個とも選べばいいのだ。
結論
という訳で、現時点では「PCもiPadも両方使う」が僕の結論。でも今後のiPadの進化や他のPC・タブレットの進化によってこの結論も変わってくるかもしれない。
……MacやiPadのことを色々言ってたけど、実はちょっとSurface欲しいんだよね。